初谷むい『わたしの嫌いな桃源郷』がよかったので、好きな短歌を紹介します。
「グッモーニン⼈⽣どうでも飯⽥橋⼈⽣どうにか鳴⾨⼤橋」
「⾛⾺灯に出てほしいけど出てこないという出かたもあるよ何それ!」
このあたりは読んだ瞬間に「好き」って思える作品で、上の作品は軽めな「グッモーニンのあとにいきなり「人生」という強い言葉が来て、冗談みたいな「人生どうでもいい」「人生どうにかなる」を「…橋」とつなげて思考する以前の言葉のリズムとして放っている感じ。最初に初谷さんの作品が好きになったのもこういう触れた瞬間の強さというか、勢いというか。「走馬灯」の作品は「そんなこともあるかも?」と半分納得しかけるというか、役に立たなそうな謎の知恵が短歌になってる面白さがあって好きです。
「はぐれるなこころ!窓を開けたらでかい⽉⾒たまま全部伝えてみせる」
でかい月に心が動かされる予感、窓を開けたら心がうまく受け止めきれなくなりそうで「はぐれるなこころ!」と。もしくは窓を開けたらでかい月があって、それに心が動かされて「はぐれるなこころ!」と。個人的には意味としてはどっちでも取れそうと思っていて。「心ここにあらず」って言葉があるけど、この作品では心がはぐれそうになる(かも)という切迫感というか、動きが伝わってきて面白いなとまず思いました。伝えられるかわからないって語彙力の問題とか、そう考えちゃうような気もするけど、ここでは心がはぐれちゃうと全部は伝えきれなくなってしまう、みたいな。
月を前にして語彙力を失っている短歌、鎌倉時代の僧侶である明恵上人の「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」もそれはそれでとても好きです。明恵上人のは心がはぐれちゃって口だけ「あかあか」と動いてるみたいな、めっちゃ感動したんなと感じて。同じ月に心を動かされるさまを表現した歌でもやっぱり初谷さんのとは受ける印象は全然違う。
「ぴ⼩⿃のようにきみを呼べたらぱやさしい⼿品を披露できたら」
この作品は音が印象的だから声に出して読んでみたくなる感じがあっていいなって。「やさしい手品」ってたぶん人の胴体を切断しても平気みたいなのじゃない、花が出てくるとかそういうの。好きなひとから反応がほしくて「そういうことができたら」って感情がみえて、なんか真っ直ぐだなって感じます。でも、手品ってある意味相手を騙すことで成り立ってるから、いたずらして気を引きたいけど傷つけたくはないってたぶん思ってる。「小鳥」と「やさしい手品」がふわって軽いイメージのある言葉だからか、これを思ってる人の感情が重いものだったとしても軽い印象を与えるのもいい。
「局所的豪⾬/ラヴソングそばにいるときもいないときも、誓います」
この歌では愛を誓っているわけだけど、ここでいう「局所的豪雨」の、感情の嵐に飲まれつつ誓っていると。しかもこの豪雨の範囲は局所も局所でわたしの身体がすっぽり入るところだけ、みたいな。そう考えるとこの豪雨は気づかないうちに急に止んでしまうこともあるし、恋愛のときの感情の高まりってこんなんって言っているような作品に思える。で、これは完全にイメージで言うとラブソングって「永遠の愛」を誓いがちな気がして。それは局所的豪雨のなかにいるってことなんだけど、そのことがいい悪いではなくその感情の高まりのなかじゃないと出てこない言葉があるなーって。局所的豪雨のなかの言葉って強いから。だから歌詞に求められる強度ってことを考えると「永遠の愛」を誓うのも頷けるなと
ラブソング=局所的豪雨の産物でもある一方で、「局所的豪雨」って時間的場所的に限られているもので、「ラヴソング」以下は時間場所問わずの愛を誓ってるという意味で対照的なのも面白いです。最果タヒのエッセイにあった「一生じゃないと、一番じゃないと、好きは尊くないんだろうか。」って文章を思い出しました、改めて局所的豪雨の言葉が流通しすぎていて、「一生でない、一番でない好き」の尊さって見えにくいな~
